名古屋大須ってどんな街?

名古屋大須ってどんな街?

ブランド品の買取店舗が立ち並ぶ街として復活

大須(おおす)とは、愛知県名古屋市中区中心部にある街です。名古屋市の代表的な繁華街・商店街の一つで、以前は東京の秋葉原、大阪の日本橋とともに日本三大電気街として知られていました。
現在はブランド品の買取店舗が立ち並ぶ街に変貌し、シャッター街から再生し発展を遂げた稀な商店街として知られています。

大須の観光名所 大須観音

名古屋の大須と言われて最初に思いつくのは大須観音ではないでしょうか?大須観音は元々は美濃(今の岐阜県)にあった真福寺寶生院を慶長17年(西暦1612年)に徳川家康の命により現在の場所に移転しました。
東京都台東区にある浅草観音、三重県津市にある津観音に並んで、日本三大観音の一つとして有名です。
名古屋城築城に合わせて大須にはたくさんの寺社が集められ、これを詣でる者や街道を通る通行人を客とした商店・宿屋・芝居小屋が多数開かれ、大須は門前町として発展しました。
近年は地下鉄鶴舞線大須観音駅からも近く、また大須商店街の入り口に位置しているためとてもアクセスがいいこともあり、参拝客も多くの外国人観光客の姿が見られます。
毎月18日と28日には大須観音境内では骨董市が開かれていることも、大須エリアにブランド品の買取店舗が増えたきっかけだと考えられます。

戦後の都市計画で置いていかれた街

観光地として発展する一方で第二次世界大戦末期のアメリカ軍の戦略爆撃・名古屋大空襲によって大須は壊滅的な被害を受けました。
終戦の翌年の1946年(昭和21年)に大須の商店主らが集まって大須盛り場同盟を結成し大須を盛り上げようとしましたが都市計画によってインフラを整備され、百貨店・デパート・地下街などが新しくできた名駅地区や栄地区に客足は流れてしまいます。
古くからの繁華街であったが故に戦後の都市開発の対象にならなかった大須は、栄の繁栄に圧迫され、その栄とも若宮大通と呼ばれる道幅100mもある道路によって分断されると人の流れも断絶されることになりました。
その結果昭和40年代には年配の参拝者がわずかに訪れる人通りの無いシャッター商店街と化しました。

中部地方のオタク街として復活

1975年頃になるとこうしたシャッター商店街になってしまった大須に対して危機感を感じる学生などの手により、学祭会場の延長にしたような場所として大盛況を収めるようになります。
転機が訪れたのはラジオセンターアメ横ビル(現在の第一アメ横ビル)が建設されたことです。
このラジオセンターアメ横ビルには東京の秋葉原から招致した家電店やパソコンショップなどが入りました。ちょうどその頃地下鉄鶴舞線が開通し、アクセスが向上すると共に今も最寄駅として使われる上前津駅と大須観音駅が完成します。
アクセスの向上により一気に客足が大須に向くようになった結果、電器店やパソコンショップがどんどん集まり、東京の秋葉原や大阪の日本橋に次ぐ電気街に発展し、日本の三大電気街として数えられるようになります。
その後、この大須の電気街は秋葉原同様に電子街、電脳街、オタク街として発展していきました。

サブカルの街・観光地の2つの顔を持つ街に

東京の秋葉原同様に、電子部品などの店やオタク系のショップに加え、様々なサブカルチャーの街として名古屋の大須も発展していきます。
外国人観光客からは名古屋のアキバと呼ばれるようになり、サブカルチャー目当ての外国人観光客が増加していきます。
秋葉原や大阪の日本橋と少し大須が違ったのは、元々大須にあった歴史ある寺社や名物にサブカルチャー文化など老若男女に人気な施設や店舗がある街として認知度が上がっていきます。
積極的に新しいイベントを仕掛け異なる糸井となものを受け入れてきた結果、常に新しく変わり続けることができたため全国各地の商店街が衰退や縮小する中で再生しさらに発展を飛べた稀な例として大須は紹介されることが多くあります。

ブランド品の買取も盛んに

色々な文化が混ざり合う名古屋の大須エリアですが、エルメス・シャネル・ヴィトンなどに代表されるブランド品の買取店舗が多いこともで有名なエリアです。
これは1980年代から名古屋エリアではTVCMで有名になったコメ兵などを中心に中古品の買取店舗が少しずつ増えていったことも原因の一つとして考えられています。
そのため大須エリアには名駅・栄地区で盛んな百貨店、高級ブランド品直売店はないのにも関わらずブランド品の高価買取の店舗が多数店を開いています。
ギャラリーレア 名古屋大須店はこの名古屋でも激戦区である大須エリアで安心・信頼のブランドショップとして高い評価をいただいております。

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